2013/11/17

身近なことと、錯覚してること

今日、TOEIC試験を受けてきました。
リーディングの長文問題に、

「タイ国の○○県に、日系企業の石田モータースが新しく工場を建設予定。
そのため従業員を募集します。募集要項は…」

という記事が出てた。「うぉっ」と思って、興味深く読んだ。



たまたまバンコクで受験したけれど、
この問題が世界中(?)で実施されているTOEICの問題であることを
つい忘れてしまいそうなくらい、身近な話だと思った。

いや実際、普通にそういう記事、あるし。
日系企業、ごろごろいるし。タイに。


もちろん英語の読解力を計るためであって、
テスト問題を制作したのはアメリカの企業であって、
この記事は架空の話ではあるんだけれど、
タイで、日系企業で働く身として、この問題は身近すぎる。

普通、アメリカのピザ屋さんがキャンペーン中だとか、
美術館が特別展示会を行うだとか、そういう英語圏の地元ニュース記事の問題文が多いのに、
今回のはタイにいる人にとって身近すぎて、当たり前すぎて、
一瞬、テスト会場にいることを忘れそうになった。



先日、リクナビの取材を受けました。
おそらく何事もなければ今年の12月1日に、うちの会社のリクナビのページに、
私の仕事の様子を書いた記事が載る、らしいです。

そっちの質問でも回答したけれど、
日本は、もう、日本だけでものづくりをすることは出来ない。
世界の力が必要だと、タイにきて強く強く感じている。
でも、そのことは、日本に住んでいると、なかなか気づかないと思う。

スーパーで買い物する。家に帰って料理して食べる。テレビ見て、寝る。
レジの店員さんとは日本語で話す、テレビからは日本語が流れてくる、新聞だって全部日本語。
全てのことは、日本人と日本語を話してたら、生活出来てしまう。

でも、スーパーで買ったバナナは台湾やフィリピンから来てるし、お肉も魚介類もオーストラリアやタイ産、
フライパンやスポンジも、服だって国産って少ないのでは。
日本国内で、日本人は生活しやすいと思うけど、たくさんのものは、外国から入って来ている。
スペシャリストたちが手続きして輸入して、一般消費者の手に渡らしてるけど、
いったいどれだけの人が、普段の生活で、外国の人たちが汗を流してつくったものが
自分たちの手の中にあり、消費されているということを意識するだろうか。


タイにきて、現地発行の日本語情報誌をよく読む。
日系企業に勤めている人向けの様々なニュース媒体には、
タイのどこの地区に、今度なんという日系企業が進出しただとか、
東南アジアの各国の自動車の売り上げがどれだけ伸びただとか、
鼻息荒い日系企業を取り巻く経済・消費状況が日々掲載されている。

こんな情報に囲まれてるからだとは思うけど、
日本って、外に出て必死にならないともう生き残って行けなさそうなのに、
未だに日本語ばかりに囲まれてる暮らしの様子に、端から見て少し不安になる。

そして隣の芝は…の心理かもしれないけれど、韓国や中国、インドやシンガポールなど、
外国のセールスアピールは、タイにいると随分勢いがあるように感じられる。
日本だってもっと自慢して良い技術とかたくさんあると思うけれど、あまり伝わってこない…。
他国と比べても、日本、大丈夫?と不安になる。

タイも、日本と同じように、主要言語はその国独自の言葉を使っている、という境遇は同じだと思う。
でも街を歩けば外国人だらけで、(私が住んでる所が特に日本人が多い)
屋台のおばちゃんだってタクシーの運ちゃんだって英単語を並べて商売やってて、
「外国慣れ」してるなあ、と感心してる。
(もちろん郊外へ行けば英語を話せないタイ人はいっぱいいるだろう。)


少し話がそれるけど、7年後の東京オリンピックに向けて、
日本国内で盛り上がってる話題って設備建設の費用だけなのかな。
先日、日経新聞に日本国内のインターネット(Wi-Fi)アクセスが
外国人にとって不便である、という記事を見かけたけれど、
そういうことにももっと真剣に取り組んで改善していかないと、
外国の人に笑われてしまわないかと気になる。

先日バンコクにいらっしゃった大阪大学の先生に、
「東京五輪開催に向けて、大阪含めて日本全国で外国語熱が盛り上がりそうですか?」と
尋ねたら、「いや、あれは東京近郊だけじゃないかな」と返事を頂いた。
局地的で閉鎖的…という印象を受けた。


他国のうらやましいなと思う所だけを挙げて、
「日本はこういうところが出来てないからだめだ」と言うだけじゃ、何も解決しない。
じゃあ私は何をしたいのかな、と考えてみる。
答えは、日本にいても、"世界の中にいる日本"を忘れずに生活したい、そう思う。
外国に住んで、外から日本を見て、そう思う。