2010/09/25

目的とは 自分のなりたい姿とは

自分がどうしてここにいるのか、ここで何をしているのか、それは何のためなのか。
何の目的があって、ここにいるのか、ここでしているのか、ここで何をしているのか。

今日、ふと、そんな疑問が浮かんで、
結局それにすっきりと答えられていない。

生きる目的って必要なのだろうか。
必ずしもなくちゃいけないってことじゃないと思ってる。
でも、無いというのは、なんてつまんないことなんだろう、と感じ始めている。

日常の中の、小さな決断はできたとしても、
今後の人生の目的地を決めて、それに向かって歩いていく意思が弱いことは自覚している。



「人生を謳歌する」ことについてアレコレ考えたい。
何が自分にとって、幸せで楽しいんだろ。

そこそこ収入があって、生きていければ、それでいいのか。
適度なストレスと、休眠とを繰り返し、無難に人間関係を築いていければ、
「普通の人生」を過ごせるんだろうな。
サムイな。なんて生きる意欲の沸かない話だ。

これに「自分だったらこうする」っていうアクセントをプラスしたいんだ。
さて、それは一体何だ?

自分の好みの洋服に身を包み、部屋を飾り、
そんな至福空間で寝起きして、
上手(になる予定)な手料理で朝ご飯をしっかり食べ、
笑顔でお仕事、楽しい職場、ノー残業で帰宅、
スーパーで夕食の食材を買ってきてパパッと作り、
ゆったりお風呂、たっぷり睡眠…。

考えてたらちょっと幸せ気分が増した。
でも、やっぱり普通な感じだ。
これだけを繰り返しても、なんだか窮屈になっていきそうだ。

「なぜ、その仕事をするのか」ってところを、もっとよく考える必要がありそうな気がする。



「○年後の自分の姿を想像してみよう」
っていう質問項目って、あちこちで見かける。

難しい質問だ。
どう考えたら良い?


「○年後にどうなっていたいか考えてみよう」という質問も見かける。
同じこと訊いてるんだよな。
難しい。


今日はここまで。
パソコンの隣で金魚が元気に泳いでる。見ていて面白い。
この子はどうして、生きてるのかなぁ。
自分はどうして生きてるのかなー

2010/09/05

会社とボランティア活動と 自由な時間

■会社→先輩は優しい。

でも、私が「一般的な行動を取れず」、「行間が読めず」、
そんなところで心苦しい。

大学までうまくやってこれたけど。
それは自分とフィーリングの合う人のいる
コミュニティーに所属していたからなのだろうか。



■ボランティア活動→活動自体も、スタッフと話をするのも、癒し。

会社のことで自分がどう動いて良いのか分からなくなって、落ち込んでいた。
ボランティア活動のスタッフミーティングに
土曜夕方5時から夜11時という想像以上の白熱話し合いには
そんな落ち込んでた自分にとって、
何かしらの解決のためのヒントが凝縮されていたと思う。



■深夜→同期からの電話
酔っぱらった同期から電話があった。
工場の臨時増員に駆り出され、
今までの職場の仕事も満足にできないまま、現場の慣れない仕事に放り出され、
忙しいのになかなか良品の製品を作れず、
現場の先輩を困らせてしまう自分に悩んでいたようだった。

そんな時に私に電話をかけてきてくれた、ということで、
ちょっと私も、救われた気持ちだった。



がんばりすぎない。
自分を主張する場所と、そうじゃない場所がある。
答えはたった一つじゃない。
見出した答えが、正しいか、間違ってるかは、分からない。
だから、たった一つを追い求めようとしなくていいんだ。