2010/02/28

読書日記『やおろず』古戸マチコ

『やおろず』 古戸マチコ, イースト・プレス, 2007年


p.145---
その路地の入り口に、まばゆいまでに爽やかなジャージ姿の男が見えるのは気のせいか。
「…どこかなー、お地蔵さん」
「現実から目をそむけるでない。見るからに地蔵じゃないか」
見るからに体操のお兄さんなんですけど。もしくは体育教師か保育士の人。
(中略)
お地蔵さんは胸を張って道に立ち続けている。
首を巻く赤いスカーフは、情熱の証かなにかだろうか。
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”情熱の証かなにか”に笑ってしまった。
爽やかな体操のお兄さんに、赤いスカーフはマッチしすぎる。
この後で分かったのは、赤いスカーフは、
お地蔵さんによく付けてある、前掛けが変化したものらしい。



おばあちゃんの家の庭にある祠から出てきた「家神さん」と、
彼と出遭ってから、八百万(やおよろず)の神様が見えるようになってしまった、
怖がり女子大生の澄香ちゃん。
澄香が帰省を終えて一人暮らしのアパートに戻ってからも、
かまどの神さまがガスコンロの上であぐらをかいていたり、
便所の神さまが「ご本を読んでー」とせがんできたり、
勝手気ままに飛んでやってくるハイテンションの道祖神がいたり。
澄香の生活は毎日大賑わい。

という感じのお話。




作者の古戸マチコさんの作品を、「おもしろいよ」と紹介してくれたのは高校時代の友達。
マチコさんの個人サイトに載せられた様々な小説は、
どれも激流のようなスピード感のボケとツッコミの会話や、
時々ほんわかさせてくれる人情話や、
勢いと意外性のあるドラマ性が魅力的で、
私はすぐにマチコさんの作品が大好きになった。


『やおろず』は、マチコさんの、「一般流通ルートに乗せる初めての本」だそうです。
6章それぞれに、メインとなる神様が登場してきて、
澄香はマイペースで掴みどころのない家神さんに翻弄されながらも、
ちょっとずつ、自分の見えている世界を見直したり、他人との世界の違いを受け入れたりと、
色んなものとふれあいながら、のんびり過ごしているのです。


もともと澄香は、"物には何かが宿っている"ということを信じていた子なので、
彼女の優しい一面が垣間見れたりするシーンは、ほんのりと和みます。
私の好きな言葉の一つがこれ。壊れた石像を見た時の彼女の心境。

p.174 ---
所詮はただの石だから痛みなんてないのだと、そう考えてしまうようになったのはなぜだろう。
欠けてしまった顔を見て、まるで自分が傷ついたように感じなくなったのは、いつからだろうか。
胸に湧く悲しみはただのよそごとでしかなく、昔のように心から痛みを覚えたりはしない。
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それを澄香は「愚か」だと反省している。
なんて優しい子なんだろうなぁって思う。
そして、この物語の所々に登場する、こういった「小さい頃はあって、今にはない感情」の文章が、
私にはとてもはかなく、愛しく思える。

もともと私がブログを書き続けているのも、
「今、思っていることが、いつか忘れてしまったときに、思いだせるようにするため」
というのが理由だから、こういう「思い出した」感覚を大事にしていきたいと思う。



『やおろず』のページ


マチコさんのサイト「へいじつや」http://kott.moo.jp/
(私が読んですごく気に入ったのは『大王と言葉遊び シリーズ』と『俺と魔王の四十七戦』)
(『やおろず』の本の一部の内容も読めます。
でも、家神さまと澄香の約束とか、バイト先のオカルト少年のことは、本を読んでのお楽しみ。)



『やおろず2』はまだ読んでない。
でこぼこな恋の相手が、一体だれなのか分からないので気になる。